2020.09.23
第2章8HIS hair clinicのスタッフとして働いてみた
最終段階
5名の日本人モニターの施術が無事終了し、イアンや他のスタッフ達にもその出来栄えから私の技量を認めてもらえて私は暫くの間HIS hairのスタッフとしてクリニックを手伝うことになった。無給だが帰国するまでもっと経験を積んでおきたかったし植毛の傷痕等のノウハウも習得しておきたかったのでむしろ有り難かった。以前と変わらず毎朝8時にクリニック入りし館内の清掃作業を済ませて9時から夕方、忙しい時は20時頃まで施術をした。相変わらずお客さんはひっきりなしだったので私の元にも日に最低でも2〜3人のクライアントが回ってきた。施術の要所要所で田中君がクライアントへの説明を担当してくれた。この頃になると田中君も施術のプロセス等ひと通り把握していたので私はクライアントとの会話による伝達不足の不安を抱える事なく施術のみに傾注出来たので本当に有り難かった。実地で施術をこなせばこなすほど自信が芽生え、お客さんによっては次回もあなたにやって貰いたいとリクエストをしてくれる人も少しずつ増えてきていた。
当日のHIS hair本社にはその繁忙さ故に他の支店から駆り出されたスタッフや今後出店する予定の直営店からの研修生も入れ替わり立ち代わりでその中の何人かと仕事終わりによく飲みに出掛けた。中でも下の写真の右の彼はスウェーデン支社のサムといって取り分け気が合い懇意になった。左のデーモン(第2章3話参照)とも気が合い、空いた時間には彼の施術部屋に立ち寄り世間話をしたり施術を見学しながら技法についても色々教えて貰った。この2人とはその後の2014年5月にインク探しの旅でそれぞれスウェーデンとロンドンで再会し、私は安定的なインクの供給を齎せてもらう事になる。
とにかくHIS hair clinic本社スタッフの一員として2011年9月の約1か月間は朝から晩まで施術をして過ごした。おかげで様々なタイプの薄毛や傷痕と実際の施術で向き合う事が出来、やればやるほど知識が増え、面白いほどスキルが向上していくのが実感出来た。またクリニックにはデーモンやジョン、サムなど懇意な仲間がおり、彼らに技術的なアドバイスをいつでも請えてそれを即座に試行出来て実のある施術経験を積めたのも大きかった。
9月の終わる頃にはイアンから一人前の施術者としてお墨付きを得られるレベルまで達する事が出来た。「こんなに早くこれほどまでのレベルに成るとは思ってもみなかった」とも言ってもらえた。最初に施術を受けてから1年半。その間ひたすら突っ走って来たがようやくゴール(施術者としてのスタートラインに立てたという事だが)に辿り着けたかと思うと感慨無量だった。
帰国
バーミンガムを離れる当日、デーモンやらポール等クリニックの全スタッフに別れの挨拶をした。デーモンやジョンからは「youは間違いなくこの施術のtop playerになれるよ」等々有難い声をかけて貰った。またイアンとランビアには格別熱い惜別の感慨を抱いて感謝の意を述べた。一時帰国でモニター集めという不測の事態を被ったが唯一直営店では無い日本からの私を受け入れてくれ、田中君までスタッフとして採用してくれた。それなりの金額も彼らに払ってはいたがそれでも感謝の念しか無かった。「色々クリニックを手伝ってくれたうえに毎日掃除もしてくれてありがとう。Youは我々のスタッフの一員だから好きな時にいつでもここに戻って来てくれて構わない。日本での成功を期待している」という言葉をかけてもらいイアン、ランビア双方と固い握手を交わしてHIS hair clinicを後にした。
バーミンガム駅まで田中君が見送りに来てくれた。彼はこのまま暫くHIS hairで働く予定だった。私の方も帰国してからもフランチャイズ契約の事やら色々イアン達と詰めなければいけない事もあるので引き続き彼には日本側のスタッフとしての役割も担って貰うべく業務委託を交わしていた。今回の研修の2か月間ずっと私の側にいてくれて施術ノウハウの習得を全面的にサポートしてくれた彼の存在は本当に大きかった。繰り返しになるが田中君と出会って無かったらこの施術を日本に持って帰って来る事は出来たんだろうか?と今でも半信半疑だ。
田中君やHIS hairのみんなと離れる寂しさ、本当に大変だったがそれでも目標に向かって充実してた日々がこれで終わってしまうんだという空虚感とその対極の安堵感、遂にノウハウを取得できた達成感等々色んな想いを抱いて帰国の途についた。
第2章終わり