2020.08.12
第2章2そして我が身は奔流へ
ある彫り師との出会い
12月に入って知人から1人の彫り師を紹介された。その名字から遠ちゃんと呼ばれていた。遠ちゃんは大学卒業後に単身渡米し、放浪の旅をしながら色んなタトゥースタジオを渡り歩き、独学で勉強しながらタトゥーの技法を身につけ、帰国後に仕事場の工房を開いてから20年間余ずっと彫り師稼業でやってきていた。彫り師に対する私のイメージは若い頃はどちらかというと不良で、やんちゃばかりしていた若者が周りの環境や憧れから彫り師の工房の門を叩き、修行を経た後に自身も独立してというものだった。しかし遠ちゃんはそういう人達が醸し出す雰囲気とは程遠く、寡黙で思慮深く、芯の強そうな人だった。彼の道具は全て手作りで技術も誰の元できちんと学ぶ事も無く独学でやって来た。つまり何から何までが遠ちゃんの身ひとつで築かれたものだった。とにかく今まで会ってきたアートメイク師の人達とは違う人種である事はすぐに分かった。例によって私の頭を見せて一通りの経緯を説明し、研修を受けに渡英の打診をしてみた。「人の頭にそんな点々入れる仕事なんか退屈すぎて面白く無さそう。」と言われてその日はこれで工房を後にした。
それから何回か工房に足を運んだ。渡英を説得する為では無く、何となく遠ちゃんの人となりに興味を持ったし、また広義で捉えればアートメイクやタトゥーも人の皮膚に針を入れるという施術であり、そういう分野の仕事にこれから私自身も身を置くという立場からタトゥーの事ももっと知っておきたいという考えもあったからだ。基本的に寡黙な遠ちゃんだったが会ってる内にぽつりぽつりと話してくれた。タトゥーの事だけで無く音楽が好きでバンドをやってるとかサーフィンや釣りの趣味の事も話してくれた。生業であるタトゥーは勿論、興味を持った事への探究心やそれを極めないと気が済まないであろう遠ちゃんの性分が窺い知れた。お互い凝り性同士だったから気が合ったのかも知れない。ある時突として「イギリスかぁ、行った事ないから行ってみるかな。用事済んだらどこかで釣りでもするわ(笑)」と遠ちゃんが言った。
年も明けて2011年、そろそろフライトの予約とかしないとなぁ、遠ちゃんの予定も聞かなきゃ。と考えてたある日、知人から「遠ちゃんが入院したって奥さんから連絡あった。何でも髄膜炎という病名らしくて今は面会謝絶らしい」と連絡が入った。髄膜って脳だよな・・・・恐らく遠ちゃんの生命に関わるただ事じゃない事態をその場で認識し、HIS イアンとの打ち合わせで既に決定していた3月の研修に遠ちゃんと一緒に行くのは100%無理だと思わざるを得なかった。
決断
遠ちゃんの渡英がまず不可能に思えた今、3月初旬からの技術研修に間に合う様に別の人材を一から探すのは困難に思えた。HIS Hairイアンに事情を説明し、とりあえず予定を延ばしてくれるようメールした。イアンからの返事は「だったらあなた自身が覚えたらどうだ。施術を受けた者が施術を施す。私はそれがベストだと思う」
え、俺が・・・? 俺が研修受けて人の頭に針刺すって・・・?
今までそんな事考えた事も無かった。暫し頭の中を整理してみる・・・今から信頼出来る人材の確保は難しそうだし、自身に技術が備われば人に裏切られる心配も無い。その後自分が誰に教えるかもどういう風に展開するのも全て自由だ。結構な時間熟考したが割と直ぐに合点がいった。そして腹を括った。もうここまで来たらとことんやるしかない。今となってはこの流れに全て身を委ねるしか無いんだ。
遠ちゃん
結局、遠ちゃんは緊急入院してから2ヵ月近く意識不明で生死を彷徨ったらしい。渡英前に面会謝絶が明けて見舞いに行った。病室に入るとベッドに遠ちゃんが横たわっているのが目に入ったがその身体には両脚が無かった。
「遠ちゃん ・・・」
「悪い、イギリス行けなくなったな・・・」少し笑みを浮かべて遠ちゃんが言った。
侵襲性髄膜菌感染症は早く気付いて適切な処置を取った場合でも壊疽によって両脚切断したり言語、記憶、三半規管などの障害や視力低下の後遺症が残ってしまうケースがあるらしい。遠ちゃんが正にそうなってしまった。両脚切断に三半規管、視力障害。彫り師の仕事、趣味のバンド、サーフィン、釣りが一瞬で奪われてしまった。掛ける言葉も失っていた私に遠ちゃんが倒れてから入院するまでの事、気がついたら脚が無くなっていた事やら話してくれた。私も自身で研修を受け、技術を覚えてくると決めた事を伝え、帰国後の再会の言葉を掛けて病室を後にした。
普通に暮らしてたある日突然病に倒れ、気がついたら両脚が無くなっていて、後遺症のせいで仕事も趣味も全て失ってしまった事を自覚した時の気持ちは如何程のものだったか。絶望・闇・悲嘆、どんな言葉を寄せ集めたところでそれを表現する術には至らない。
人は死から逃れる事が出来ない。にも拘らず永遠に生きられるかの様に錯覚し、万能感の中に身を置き、全ての諸事を律し切れると思い込んでる人々。死に限らず、病苦も同じだ。今の今、病や痛みに苦しみ、その不運を如何ともしがたい人間がいることから目を背け、自分にそんなことは起こりえないと考えている人々。そういう勘違いで思い上がった愚かな人達が如何に多いことか。傲慢で恥知らずな政治家、騒がしいだけで社会的に何の役にも立たない無知で馬鹿なタレント、芸人、アイドル達。ひたすら富と名声を追い続ける資本主義の醜い権化と化した企業経営者。それ以外にも常時目につく有象無象。本当に下らないし目出度い奴らばかりのこの世だ。遠ちゃんの身に起こった悲劇が1つのきっかけだが、そういう思いを巡らせる時が多くなり、今ではそこそこ厭世的にもなってしまっている自分が居る。本来なら夕べ(ゆうべ)に死するという覚悟で1日を生きるべきなんだろうと思うのだが中々そう出来ずにいる私もそんなに偉そうに言えたものでは無いけど。
その年の秋、研修から帰国し、退院後自宅で療養している遠ちゃんに会いに行った。切断された両脚には義足が装着され、驚く事に普通に歩ける状態にまでなっていた。懸命のリハビリの日々だったに違い無い。しかし、記憶障害、視力低下などの後遺症はまだ後を引いており、彫り師としての復帰はまだまだ儘ならぬ状態だったが趣味だったバンド、サーフィン、釣りも再チャレンジするつもりでいる意欲を語ってくれた。その後は仕事で海外へ行ったりで多忙だったのと、私の関西への転居などで会えずじまいのままだ。どんな状況でも自暴自棄にならず、それを泰然として受け入れ、前を向いて最善を尽くして行く。そんな男だから元通りに近い生活を奪回してるか、別の新しい生き方を掴み取っているのではないかと思う。
下は遠ちゃんがサーファー仲間に頼まれて仕上げたものだ。遠ちゃんからこのサーフボードの事を聞き、留萌という海沿いの街のサーフショップまで当時住んでいた札幌から2時間半車を走らせて見に行った。マジックペンで1つ1つ濃淡をつけながらドットを配して行き、最終的にそれが見事な龍の絵柄に化している。本業の合間を縫っての作業とは言え、それでも1年間を費やしたらしい。遠ちゃんの彫り師としての才能、技術、人としての生真面目さ、凝り性等々色んな要素が集約されたサーフボードだと思った。ずっと見ていても飽きる事は無かった。冒頭でも書いたが、最初に出会った時にヘアータトゥーについて「退屈な作業」と彼に揶揄されたがその言葉を裏付ける作品だと思った。もし遠ちゃんが研修に行ってたらどうだったんだろうとふと思ったりもする。
追記
とにかく想定外の事や思いもよらぬ事態で最初は単なる1人の客だった私がイギリスのHIS hair clinic で施術者に成るべく研修を受ける事になった。2010年6月に初渡英した時から実はもうこの奔流に導かれていたように今は思えてならない。いや、4月にネットで偶然見つけた時からか。