2020.11.11
第4章3身を捨ててこそ③
東京クリニック カノ
カノはハーフで帰国子女故の堪能な英語を生かして英会話のレッスンを生業にしていた。私の元に施術依頼に来た当初は正直断る気持ちも有った。当時の顧客は全て男性だったし、髪の毛が長い女性でも施術は可能だが髪を掻き分けての施術は面倒な作業で且つ全体的に打たねばならないケースだったので通常の5割増しくらいの時間がかかる。しかし実際の頭を見て女性でこれは辛いだろうなと思い、これも人助けだと思って引き受ける事にしたが1つ条件を付けた。他の男性客と同じように坊主スタイルで施術に臨む事だ。剃髪すれば圧倒的に施術時間が短縮出来、頭皮全体に濃く、くまなく色を入れられる。ここまで分け目が目立つなら後々の事を考えればその方が合理的だ。髪の毛はそのうち生えてくるのでそれまではカツラで凌ぐ。それでOKなら料金も半額で良いと。女性にとっての辛いであろう選択肢だからせめてもの代償だ。何となく予想はしていたが躊躇無しで「それでお願いします」の返答だったが会った当初からそういう雰囲気は持ち合わせていた。当時の動画を編集してアップしておく。施術が完了し髪も坊主には見えない程伸びてきた頃に弟子入りの申し出が彼女から有った。施術を受けるために女性ながら迷わず坊主になれるその捨て身の姿勢を私は評価していたし、英語も堪能だから外人顧客にも対応出来る。断る要素など何も無かった。
美大出身でデッサンやスケッチの基礎能力が備わっているカノはガンの扱い方の習得も早かった。鉛筆の代わりにガンを持ち、キャンバスの代わりに頭皮に擬似毛根を描写していく動作は書くのと打つの違いはあれど手先の器用な彼女にとって適応するのにそう時間はかからなかった。また、この施術に大事な資質である空間認識能力も問題無かった。マンツーマンでガンの捌き方、打つコツを指導し、のぶの元で実地訓練を重ねさせた。
前話で書いたが2015年の夏前にモチベーションと体力の理由で後進に道を譲ると決めた。弟子の2人共もう技術的な基礎は備わっていたから後は終始独りでやり遂げる経験値さえ重ねれば一人前の施術者への道は自然と開ける。立場が人を作るからそういう環境下に身を置かせる事が必要だった。最低限のフォロー体制は取りつつ私には他にやるべき事が有った。今でもそうだが当時のこの施術に対する認知度はほぼ皆無と言っても過言ではなく、加えて私の元に来るお客さんは運良く私のブログを見つける事が出来た数少ない読者の中の一部の人間だった。認知度、施術自体に対する信用度、安全性の評価等々を高めていく必要性を痛切に感じていた。法人化、それも出来れば医療クリニック化とHPの制作が最優先事項かと思った。HPはたまたまクライアントがWeb制作の仕事をしていたので彼の施術をHP制作とのバーター取引きで話しが着いた。難問は医療クリニック化だった。
熟考の末カノを看護師にさせようと思った。提携クリニックを見出してもそこの看護師に1から教育しなければならない。おまけにこの施術に対する適正と意欲という前提条件付きだ。だったら2年という時間はかかるが長い目で見ればカノに看護師資格を持たせた方がこちらも動きやすい。その後はクリニックという箱だけ見つければいい話だからビジネススキームが断然シンプルなものになる。カノに話すとやはり何の躊躇いも無く「分かりました」の返答だった。さすがである(笑)
既に年末近い時期だったので翌年の看護師学校の2校に受験志願を出してカノには受験態勢に入ってもらった。翌春、短期間の準備にも関わらずそのうちの一校に合格し、カノは当時の住まいの札幌を引き払って東京で看護師資格を目指した修行生活?に臨んだ。結果晴れて看護師資格を取得し現在は東京クリニックの施術責任者として精進してくれている。
札幌で英会話のレッスンをして普通に暮らしていたカノも剃髪という犠牲を払いこの施術を受け、その結果に魅せられ修行し施術をする側に立った。そして将来を見据えて看護師の資格を取る為に札幌を引き払い、東京に居を移した。私も学費とか色々サポートはしたがカノ自身も学業の合間を縫ってホテルの夜勤に従事し慣れない東京での生活の足しにした。正に身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれをカノもまた地で行ったのだと思う。のぶ同様彼女もまた私にとっては中枢の東京クリニックを任せられる有能なスタッフであり、仲間であり、大切な妹分(娘?)だ。巡り合わせに感謝。