2020.10.21
第3章4自立路線の確立=SPJの起源
田中君の失踪によってHIS hairとの関係が稀薄に傾いた事は前述したがオランダ訪問で機材、針の供給元が確保出来た事も加わり私の中でもフランチャイズ契約は大きな意味を持たなくなってしまっていた。また、HIS hair イアン達にしたらアジアの拠点は香港にあるし島国の日本のマーケットなど取るに足らないものである。おまけに直営店では無い私に対する対応など遅かれ早かれおざなりな扱いになるのではと想定はしていた。ましてや田中君がいなくなったこの状況下でその思いはほぼ確信に至っていた。フランチャイズ契約の中身についても施術スタッフはHIS hair本社の認定を受けたスタッフのみが施術を許されるとか定期的なクオリティチェックの為に本社から要員が派遣されその費用もこちら持ちとか色々面倒な内容も盛り込まれて来て、いずれにせよ自立路線への転換を考えざるを得ない状況だった。それでもイアンに対しては一介の客だった私の申し出を受け入れ、研修を受けさせてくれた恩義の気持ちは多大に有ったしフランチャイズの一部金として£45,000=約600万を既に支払っていたがこの先それについてもどうこう言うつもりも無かった。イアンとランビアは私にとっては永遠の恩師だというスタンスはこの先も変わる事は無い。
そうなると残りの課題はインクである。オランダのメーカーも頭皮専用のインクは開発していて何本か持って帰ったがどうしても青色が強く出てしまう。少しでも針が強く入るとその傾向はより出てきて使い勝手が悪かった。インクの成分表は田中君の計らいで極秘に入手していたから一から製造出来なくも無かったがドラム缶単位だと言われて結構な金額だったのでひとまず諦めた。ともあれHIS hairから買って帰ったインクで数年分凌げる状況だったから色々と海外の同業者のインクをリサーチしたり試したりしながらもこれはというインクを発掘出来ずに2年が経った。
やはりHIS hairが採用しているインク以外は考えられないという結論で2014年の5月にヨーロッパに渡る事にした。①私のHIS hairでの研修中に仲良くなったスウェーデン支社のサムに会って聞く②同じく仲の良かったデーモン(当時はHIS hairを辞めて別のクリニックに勤めていた)に聞く③両方駄目だったらオランダのメーカーにサンプルと成分表を持ち込んで製造依頼をする。この順番で攻めようと思った。出来たらサムかデーモンに会った段階で情報を入手出来れば良いのだがと願って日本を発った。今回は私の元クライアントで懇意にさせてもらっていたH君に同行してもらった。翻訳家であり米国在住経験もある彼は今ではSPJのスタッフの一員としてメーカーへの発注、海外マーケットの動向調査等々の役割を担ってくれている。
スウェーデン支社はストックホルムでは無くゴッテンブルグ(日本語ではヨーテボリ)という所にあってオランダ同様約2時間のフライトだった。
空港までサムに迎えに来てもらいそのまま市内のHIS支店に向かった。約3年ぶりの再会だったがサムは相変わらず陽気で話し好きな好人物だった。互いの近況など色々話してから本題に入った。田中君の事やら一連の事情とHIS hairへの懸念を説明し、独立体制で進めて行く為にインクの情報が必要なんだとサムに話した。「絶対に他言するなよ」と念押しされただけで全く渋る事なくすんなり全て教えてくれた。余裕を持って1週間程度のインク探索の旅にしておいたが最初のスェーデンの初日で目的が達成された。その後イギリスでデーモンと会い、そこで得たインクの情報もサムから聞いたものと同じだった。オランダのメーカーにはH君の紹介を兼ねた表敬訪問となったがそのおかげで現在もH君が機材の調達業務を含め良い関係を築いてくれている。
これで完全なる独立体制で進んで行ける状況になった。結局HIS hairとは田中君の失踪した2011年の終わり頃からどちらかからともなく疎遠になって当初のフランチャイズ契約の話しも立ち消えになってしまったがその反面、HPの制作、スタッフの選定と育成、針や機材の選定など運営の全てを自由に考え、推進出来てきた事を思えばここでも命運とでも言おうか何かそういう物に導かれたのかも知れない。田中君がもしあの時失踪せずにそのままHIS hairに勤務していたなら恐らくフランチャイズ契約を交わし、HIS hair傘下の日本支社として現在やっていたかもだ。ネットで偶然知り合い、2010年の秋にHISにメンテと研修の申入れに初めて同行してもらい、その後バーミンガムに移り住みHISのスタッフとして従事しながら私の研修やら様々なサポートをしてくれた。そして最後の最後に失踪という形で私に歩むべき道を開いてくれた。田中君とは単なる一介の出会いというよりもこの一連のストーリーのあるタイミングで予めエントリーが決まっていた人物の1人だったに他ならないと確信している。その後日本で会う機会が有り頼まれ事にも応えさせてもらったがそれ以降は会ってもいないし音信不通だ。彼には感謝の念しか無いし今も世界の何処かで楽しく暮らしている事を望むばかりだ。
本年6月から4ヵ月余に渡りヘアータトゥーなる技術に救われ、魅せられ、それを手にするまでの私の奔走ぶりを時系列で記してきた。大体こんな経緯で今に至るだ。今後は思いついた時にポツポツとヘアータトゥー、SPJに関連した事をランダムに書き記していく事にするので良ければ引き続きご拝読頂ければ幸いです。