2021.01.06
第5章8昔の話⑧ 壊れた社員
窮地の続き
前話の続きになるが仙台支店長からの信書が部長の手に渡る前に失敬し、中身を読んで思った事はこれが社内で表沙汰になれば相当面倒な事態になるという事、そして密かに且つ速やかに相手先に対処しなければならないという事だった。それも少なくともここ2〜3日の内に手を打たないと先方から部長宛てに直接電話でもされようものなら万事休すだ。とにかく部長宛てに信書が送られて来てしまった以上、その対応として平社員の私1人で陳謝に出向いて済む状況では無くなった。最低でも課長クラスの上司の同行が必須だった。しかし当時の所属課長に相談するつもりは毛頭無かった。典型的な太鼓持ちサラリーマンで私の副業の事はおろかその不始末まで話したら卒倒してしまうような人物だったし下手に話したら逆に大ごとになって結果部長に発覚してしまう恐れが有った。流石にここでは4章で記したような「身を捨ててこそ・・」などと悠長に構えているどころでは無かった。死中に活を求める、正にそういう瀬戸際だった。
私が助かる可能性のある人物が部内に1人だけ居た。別の課のSという課長だが彼とは何となく気が合ってたまに退社後に2人で飲みに行く間柄だった。気が合うだけあってS課長も酒好き、女好きという遊び人の部類に入る人種だったので食事の後は決まって女性のいるお店に流れた。そういう店でも平然と2名分の勘定を支払う私を見、私が本業以外で何かしら実入りが有るのも薄々分かっている筈だった。ここは思い切ってS課長に相談してみようと手紙が来た翌日に彼を飲みに誘った。
一杯呑みながら私はサーキット場での大きな副業の事は伏せ、イベントなどで移動型ビジョンの手配をして小遣い稼ぎをしている事、今回の業者の凡ミスによって相手先の七夕祭りイベントが台無しになり、結果そこの支店長から弊社部長宛てに信書が送られたのだが掠め取って今は自分の手元にある事など一通り説明し、その信書も見せた。以下こんなやり取りだったと思う。
S課長「川口君、これ、事と次第によってはあなた馘(クビ)だよ」
「分かってます、何とか助けて頂けませんか」
S課長「どうやって?」
「私の上司として仙台のH社に一緒に謝りに行って貰えませんか」
S課長「冗談じゃない、何で私が。もしバレたら私だってただじゃ済まないだろ。」
「それも分かってます。勿論お礼はさせて頂きます。100万円で何とか助けてくれませんか」
S課長「・・・」
その翌日か翌々日だったと思うが仙台に向かう新幹線の車内で打ち合わせをし、2人でH社仙台支店を訪れた。そしてS課長は私の上司として実に見事に演じてくれた。信書に対する弊社部長の憂いを代弁した後で部下に対する彼の管理不行き届きを詫び、最後には今回の担当者である私に対し然るべき処分を課すという社の方針をも伝えてくれた。加えて今回の迷惑料として次回のイベントに於ける移動型ビジョンの無料レンタルも確約し(これは後日実際に行った)、そういったS課長の誠実?な対応のおかげで何とか相手方支店長の免罪を得る事が出来たのだった。さすがに気が張っていたせいか帰りの新幹線でビールを飲んだ時にここ2〜3日の疲れがどっと出た。。
S課長のおかげで何とか表沙汰にならずに全て治める事が出来て人心地ついたが仙台の支店長や担当者に多大な迷惑をかけてしまった事に対する心苦しさはしばらく残っていた。初めから分かってはいた事だがM社の看板で動いている以上はこういう事態が起こった場合、平社員の私の立場ではどう対処する事も出来ないのだ。私はM社でこのまま副業の事業を続けて行く限界とストレスを何となく感じ始めていた。
それから数年後に深夜の新宿歌舞伎町でS課長と出くわす事があった。歌舞伎町でも職安通りに近いディープな場所だった。当時の私はもうM社には居らず当時はその付近で或る店をやっていたのだが彼は両脇に外人女性を抱え、かなりご機嫌な酔っ払いだった(笑)。その後風の噂で聞いたが何らかの不祥事を起こして解雇されたか自ら辞めたとか。S課長もある意味で規格外の人間だったなぁ。
30年以上経った今思い返すに取引先から部長宛てに送られた苦情の信書を掠め取り、偽の上司を仕立て上げ、不良社員2人で仙台まで行った挙句に他所様の会社で一芝居打つなんて、自分で言うのも何だが、よくもまぁあんな漫画かドラマの様な事をやれたもんだと思う。
分水嶺
この出来事の数ヶ月後私はM社を去った。サーキットでの副業や広告の仕事をもっと自由な環境下でやりたいという気持ちが強くなりM社にこれ以上在籍していても仕方がないと思った。無目的に大学に入学し、無意識に社会人となったが結局6年半ほどで私の商社マン人生は終わった。これがその後私を更なる流転の人生へ導く最初の分水嶺だった。
第5章終わり