2020.09.02
第2章5問題勃発で一時帰国する羽目に
問題発生
与えられたマニュアルを基に講習を受け、スタッフ達のサポートをしている内に施術のプロセスはおおよそ把握出来てきた。また日々のバナナ打ち練習の成果でガンを操りドットを打って行くイメージも頭の中では上手く思い描けてきた。加えて施術のサポート中に頭頂部や後頭部を実際に打たせてくれるスタッフもいてそれがイメージの具現化に繋がった。HIS香港支社から本社の手伝いに来てたジョンという男が同じアジア人という事もあったのか一際良くしてくれた。後頭部の施術の際、お客さんはうつ伏せの体勢故に実際誰が打ってるのか分からないからここぞとばかりに私に打たせてくれた。口では言えないので予め決めておいた指の動きで打ち方のアドバイスを受けたりしながら。また私と同じくクリニックの客室に滞在しながら施術を受けにやって来ている何人かのお客さんとも仲良くなり、事情を話してフロントライン以外の箇所を打たせてもらったりもした。ジョンと何人かのお客さんのおかげで部位によってはスムーズに施術出来るレベルまで来ていた。
研修に来て3週間程経ち、兎にも角にも後は生身の人間を相手に実習を重ねて行く段階まで進んで来ていた。そしてこの先私が実地研修で施術を施していく相手=モニターはHIS hair イアン達が準備してくれている筈と踏んでいたのだがここに来てどうやら雲行きが怪しくなって来たみたいだった。結論から言うと用意は出来ておらずイアンの考えは通常のお客さんの施術の過程の中に私の実地研修を組み込んで行くつもりだったみたいだ。しかしながらポールやデーモン、ザンクの施術者には話しを通しておらず、突然通達を受けた彼らの反応は「まだまだど素人の〇〇なんかに自分の客の頭を施術させるのはいくら自分達が側にいたとしても無理」という意見、姿勢だった。さすがのイアンも主力スタッフ達に一様にそう言われてはどうしようも無かったみたいだ。直営店のスタッフならイアン達もある程度融通を利かせてくれたと思うがこちらは所詮彼らにとって唯一の外様のフランチャイジーだし仕方がないとも思った。(第1章9話でも記したが私=日本だけが唯一研修を受ける事を許された非直営店なのだ)
さて、現実的にどうしようかという話になりイアンやポール達と色々打ち合わせをした結果、私が5名の日本人モニターを用意する羽目になった(;ω;)それならそうでイギリス来る前に言っといてくれよなって感じだったがどうしようもない。一旦帰国してモニターを集めてから実地研修の再開となった。
田中君
通訳の田中君もクリニックの客室に滞在したままずっと私の研修に付き添ってくれていた。最初の渡英で雇った通訳人の3分の1程度の報酬だがそれでもまとまった期間になると彼にとっても良い身入りだったのは間違い無い。私もある程度の英語は話せ、読み書きも出来るがとにかく彼が朝から晩までほぼ一緒にいてくれるのでHISサイドとのコミュニケーション的には何の苦労も無かった。ロンドンの大学の単位もほぼ取得出来ているとの事で実地研修の再開後も通訳業務を依頼するつもりだった。
しかし私の頭には一案浮かんでいた。当時のHIS hair はフランスに支店を構える準備をしていた。前にも書いたが田中君は英語、中国語の他にフランス語も堪能である。タイミングからして彼のニーズは有りそうだ。大学の単位の心配も無いのに私の帰国に合わせて一旦ロンドンに戻ったところでまた家賃や生活の為に通訳の仕事やらアルバイトを探すのに苦労する羽目になる。それならこのままこのバーミンガムのHIS hair に残って数ヶ月後の私の実地研修再開を待った方がいいんじゃないかと考えた。要はHIS hairのスタッフとして住み込みで働けば生活費と住み家の心配は無くなる。今の3階の客室にそのまま居座らせてもらい、ロンドンの部屋は引き払って必要な時だけ電車で行けばいい。田中君とイアンの双方にこの案を打診してみる事にした。果たしてHIS イアンはフランス語の堪能なスタッフを確保出来、田中君は家賃の心配が無い長期のアルバイトを見つける事が出来た。彼の仕事の内容はフランス支社の立ち上げのサポートとクリニックの庶務全般だった。
帰国前に一策を講じたおかげでHIS hairにこちらから日本人スタッフを送り込んだのと変わらない状況が作り出せた(笑)この一件はその後の私にとっては物凄く幸運な事だったと今でも思う。巡り合わせと言うか通常では考えられない成り行きのおかげだった。田中君の働きで一時帰国後のイアンとの色々な連絡業務がスムーズに進み、更に日々のメールでのやりとりの中でHIS hairの現状、内部事情を知る事も出来た。また、私が再渡英するまでの間にクリニックの全スタッフと交流の輪が築かれており(クリニックに住み込みなので必然的に主になっていたのだ笑)それが私の実地研修の際にも大いに役立った。彼が居なかったら私はこの施術を身につけて無事日本に戻って来れたんだろうかとさえ今でも疑問に思う。(下はHIS hairで働く田中君)
モニター探し
2011年3月末、まだまだ大震災の余波が残っている日本に一時帰国した。5人のモニター集め、今回の研修の一連の動きの中ではっきり言ってこの作業が1番きつかった。今でもヘアータトゥーの認知度はまだまだ低いが2011年当時のそれは限りなくゼロに近いものだったし、その上モニターの人達にイギリスまで来てもらう必要があるのだ。果てしなく高いハードルだと認識はしていたがとにかく5人集めないと次に進めない。当時の2ちゃんねるを含むネットでの公募、知人の紹介など必死の思いでありとあらゆる手を尽くした。また、居住地の札幌に居ても道民相手では埒が明かないと思い東京に出向き、明けても暮れてもモニターを探し続けたが予想通り大苦戦の日々だった。
東京でのある夜、広尾のちょっと洒落た飲食店のカウンターで一杯飲りながら食事をしていた時のことだ。後からカップルが私の隣の席に案内されて来た。入って来た時から気付いていたのだが男性の方の頭髪は結構短く剃り込まれていたのだが悲しいかな密度が薄くて地肌感が出ていた。イケメンでファッションセンスも良いのに勿体無いな。でも本人も絶対気にしてる筈だろうな。そんな事を考えながら横目で観察しているうちに女性がトイレに立った。その隙を縫ってすかさず「格好良いですね、坊主も似合ってるし。私も坊主が好きでこのスタイルなんです。」みたいな感じで声をかけた。向こうもそれに応えてくれて二言三言やり取りした後で「実は私のこの頭、ヘアータトゥーと言って色が入ってるんですよ。興味ありますか?」と思い切ってボールを投げてみると期待通りの興味があるという意味合いの返答だった。女性が戻ってくるまで少し話しをし、とりあえず連絡先を交換して改めて会う事になった。後日都内の喫茶店で再会し、自己紹介含め今回の一連の経緯を説明すると「イギリス行った事無いから観光兼ねて行っても良いですよ」と即答だった(笑)職業は投資家と言っていたがやはり東京ならではのノリというか人種というか、とにかく体当たり営業が功を奏した。この体当たり営業でその後もう1人のモニターもゲット出来た。
幸いネットからの反応もいくつか有り、事の経緯含め全て洗いざらい説明をしに度々相手のところに出向いた。そして帰国後3か月経った6月末にはようやく5人のイギリス行きモニターが奇跡的に確保出来た。今思い出しても本当に必死の思いで動いたモニター集めだったし、自分で言うのも何だが良くやったと思う。また、ここでも巡り合わせというか幸運にもモニターに応じてくれた人達に出会い、助けられた。
兎にも角にも最終の実地研修に向けて全て御膳立ては整った。HIS hair 田中君にも連絡して7月末に再渡英し、実地研修再開してもらうべくイアンのコンセンサスを得、現地での段取りを取ってくれるよう依頼した。フライトは片道切符で手配した。習得できるまで日本に帰るつもりは無かった。