2021.01.20
第6章2今の時代に思う事ー人間の感情について
歳を取るという事
散々色んな事をやってきて今ではもう多少の事では驚かなくなるし怒る事も少なくなって来た。これは物事を達観視出来る様になったのでは無くて喜怒哀楽の感情の沸点が年々高くなりつつあるのだと思う。僅か10度くらいの熱で喜び怒り哀しみ楽しんでいた事が50度60度位にならないとそういった感情が沸き立たなくなってしまったのだ。それが証拠に10年ほど昔にヘアータトゥーの施術を受け、そして技術を習得する為にイギリスに何度も乗り込んだ時の情熱や楽しさを今の歳で同じように抱けるかと言えば甚だ疑問だ。今ならコロナの件は別にしてもやり通せる自信が持てない。これも歳を取ったせいなんだろうと思う。
歳を取っていくと同時にもう1人の自分の目を意識するようにもなった。お前はいったい何をやってるんだ。何がしたいんだ。こんな事をして恥ずかしくないのか。いつももう1人の自分と自問自答している。若い頃は全てイケイケでそんな自分に問いかけるもう1人の自分などは居なかったが、これは自身に都合の良い解釈をすれば、良い意味での歳を重ねたという事なのかも知れない。UNIQLOの柳井氏も彼の著書の中で言っていたが「自分にとっての1番の批判者は自分自身である」という事だ。常識というのは国や民族によってもそれぞれ違うが今自分が生きているこの社会の常識というのは一応理解しているつもりだ。常識を知らずに常識外れの事をする人間と、常識は理解しながらも常識外れをする人間がいる。他人に迷惑を及ぼさないならどちらも構わないと思うが私は後者のクチだと思う。もう一つの目を持っていれば対応出来るからだ。ただ、賢い人間がもう一つの目を持っているとは限らない。もう一つの目は賢さとは別のところで培われる。一言で言うと人間の成熟度によってだと思う。
恥という感情
人間の感情というのはその個人の受ける教育や環境、経験によって変化する。むろん人間は生物であるから喜怒哀楽の場面やその沸点に於いても本能的には個体差は有る。これを感情と言って良いのかどうかは分からないが、私は人間の感情の頂点に位置するのは「恥」だと思っている。恥という感情?が人間の喜怒哀楽をコントロールするのだと思う。別の表現をすれば人間の成熟度は恥の成熟度とも言えるのではないか。
まだまだ小僧の20代に自身で考え出したビジネスでお金を生み出し、その後の30代から40代も広告代理店、歌舞伎町、ベンチャー企業と仕事場を移しながら拝金主義まっしぐらの人生を歩んで来た。その結果、歌舞伎町では一文無しになったりもしたがその後のベンチャー企業では億単位のお金も手にした。とにかく金を稼ぐ事にひたすら没頭した。しかし金にまみれた挙句に金のせいで会社を追われ、社会的な立場も失い、気づいた時には独りぼっちになっていた。独りになって己の恥に気づく事も多々有った。そこから喜怒哀楽の軸が多少変わったのかも知れない。
歳を取り「恥」なる感情を意識して生きるようになった私だが今では多種多様な「恥知らず」が普通に蔓延する世の中になってしまったと感じる。政治家やタレントは相変わらずロクでも無い下品な不祥事を起こし続けているクズばかりだが最近の代表たるや一部のYouTuberか。金にモノを言わせた下品でくだらない動画、子供の悪ふざけを良い年した大人がやってるだけの動画は見るに耐えない。面白ければ閲覧者が増え、金儲けが出来るというこの仕組みが知性も品格も持ち合わせていない恥知らずな素人をどんどん世の中に送り出し続けている。挙句の果てにはタレント気取りで地上波のTV番組にも頻繁に出演してきている。そういう風潮を生み出す番組制作側もまたロクでも無いと思うが大晦日の格闘番組で目にした「俺たち金持ちYouTuber」って思わず失笑してしまった笑。もうどうしようもない・・。犯罪も卑しい、浅ましい質のものが増えてきた。年老いた人たちからお金を騙し取るオレオレ詐欺がその最たるものだろう。コロナ禍の今なら持続化給付金詐欺やGo Toのクーポン詐欺か。後者に至ってはそれを錬金術と称しSNSで配信するクズまで出てくる始末だ。他にもストーカー、DV、子供の虐待等々、昭和の時代では起こり得なかった性質の犯罪が日々ひっきりなしだ。本当にこの国はどうなってしまったのだろう。
時代の流れは人が「哀」とか「恥」という感情を育む機会を確実に喪失させ続けている。人間としての大事な感性が欠落した者達がこれからも社会で増え続けていくのは言わずもがなだ。ビジネスや文化を含む普段の生活に留まらず、果ては犯罪に至るまでそういった「恥知らず」は人間社会を確実に壊しつつあると思うのは私だけでは無いだろう。