2021.01.12
第6章1今の時代に思う事ー昭和を想う
前章で大学卒業後に初めて社会人として過ごした時代を書いた。その後広告代理店、歌舞伎町でのビジネス、ベンチャー企業、金融・不動産と職種の変遷が有ったが各職でやってきた事、過ごした日々は壊れた商社マン時代を遥かに凌駕するものだったのでそれを赤裸々に書くのはいささか憚れるところが有る。時が経ちもう時効とは言え流石に正直に曝け出せる内容では無いのでそのうち追々書ける範囲でと思っている。
昭和の子供達
もうかれこれ50年以上も前になる子供の事を想い出している。私は東京タワーと同じく昭和33年に関西の地方都市で生まれた。家は木造の平家建てで風呂無し(近所の銭湯)、TVは白黒、トイレは汲み取り式、ガスはプロパン、冬でも水道蛇口から出るのは冷水のみ等々の暮らしだったが我が家が特別貧しかった訳では無く、多くの人達の暮らし自体が押し並べてそういったものだったと思う。そして子供達には遊びのパラダイスが広がっていた。そこそこの規模の街だったが当時は幹線道路以外で舗装された道路などそう多くも無く、強い風が吹くと土埃が舞い上がった。近所には同世代の子供も沢山いたし野球をするのにも事欠かないほどの空き地や原っぱがあちこちに有った。加えて川も有り小学校でアヒルの飼育当番だった私は学校が終わると餌のフナやおたまじゃくしを取りに行くのが日課だった。網を掬うとザリガニも難なく取れて解体したその肉を糸に括り付け牛蛙を取ったりもした。原っぱではカマキリ、キリギリス、バッタなど多種多様の昆虫を見て触る事が出来た。季節も今よりももっとはっきりとしていた。冬には雪も降ったし水溜りに張った氷を割りながら日々通学した。水道管が凍って水が出ない事も日常茶飯事だった。春になると近所の畑には一面にレンゲが咲き、土筆狩りに出かけたりもした。夏の真っ青な空には迫力のある入道雲がそびえ、夜になると家の周りや土間の何処かでコオロギが鳴いていた。赤とんぼの大群を目にする様になると川べりにはススキが揺れ始め、近所のお寺の境内に銀杏拾いに出かけたりもした。そしていつの季節でも銭湯からの帰り道に見上げた夜空には綺麗に輝く無数の星をはっきりと目視する事が出来た。田舎暮らしで無くとも普通の街でこういう自然と触れ合いながら子供時代を過ごす事が恐らく誰でも出来たのだ。
その後時代の移り変わりと共に空き地や原っぱは宅地に変わり道路は舗装された。川や土手も整備されフナやザリガニを見る事も無くなった。ビー玉やメンコは過去のものに、野球遊びは家の中でのTVやゲームに代わって行った。友達同士で連んでいたら喧嘩は日常茶飯事だったが遊びの中で仲直りをする術を身につけれた。小さな生命と触れる事で命の尊さを無意識のうちに覚える事が出来た。豊かさはまるで道路を舗装する様に人間の心も舗装してしまった。原っぱや川を含め街並みを変えてしまう事で生命の尊さを教える機会、自然と触れ合う機会を潰してしまった。豊かさや生活の向上を得る代償に時代の流れは子供達からそういう学びの場も奪ってしまった。
今の時代何かおかしくないか
子供が言葉を覚えていくのに文法は要らない。親に育てられ一緒に過ごしたりしながら成長期の細胞に組み込まれていくのだ。喜怒哀楽の感情も同じだ。加えて友達や自然、動物と触れ合う事によって人として本来備わっていくべき感情が更に培われていく。しかしながら今の時代はかなりおかしい。子供が実の親を殺したり、幼い我が子を若い親達は虐待し、挙げ句の果てに命までを奪ってしまう。誰でもいいから殺してみたかったとほざく無差別殺人犯、SNSやネットでの個人に対する執拗な誹謗中傷。昔の時代では想像も出来なかった犯罪を今では毎日のようにメディアで目にする。こういう者達の行動、言動はいったい喜怒哀楽のどの感情から発せられているのだろう。
昔は喜怒哀楽の感情はそれぞれが連動性を持って絡み合っていた。喜びの裏には哀しみが有り、哀しみの裏には怒りが有った。そのように4つの感情は有機的に繋がっていた。しかし今はどれもがバラバラに孤立して存在しているように思う。刹那的に一つの感情だけが突出して表れるようだ。それも抑え切れない程の猛烈なパワーで。そしてそれらの感情は人として熟成されたものでも無い。上で記した者達の行動が正にそうだと思う。加えて「哀」という感情が欠落した喜怒楽の3つの感情しか持ち合わせていないかも知れない。更に言えば「無」という感情?が「哀」の代わりに彼らには備わっているのかも知れない。喜びも怒りも楽しさも人間にとっては大切な感情だが「哀」の感情は人間的な成長が無いと育たない。人と接し、色んな物を見聞きし、体験する事によって心の奥底に横たわってくる性質のものなのだ。
人は人と直接会い、相手の顔を見ながら話をしたり実際の言葉を耳にして相手の気持ちを理解し、同時に己の感情を磨く。黒電話が有ったとはいえスマホやインターネットが無かった時代にはそういう対面でのコミュニケーションが主だった。今はどうだ。直接会わなくともどこに居てもLINEで普通の会話もどきが出来るしビデオ通話も可能だ。直接会えば相手の態度から醸し出される感情の切れ端なども垣間見る事も出来るのだろうが今の若い奴らにはそんな事はどうだっていいのだろう。街を歩いていても電車に乗っても、飲食店に入って食事をする時でさえ若い奴らの殆どは頭を垂れてスマホと睨めっこをしている。人々の様相を観察したり、車窓から景色を眺めたり、思考に耽る事なくスマホの中でひたすら自分ひとりの世界に浸っている。思考や想像力は人と接したり自然に触れ、書物の世界に入る事で育まれるという私の概念からすれば「哀」なる感情の欠落予備軍達で溢れ返りそうなこの先にはどんな未来が有るのだろうか。如何にこの先科学や技術、文明が更に進化し、生活がいくら豊かになろうが人間としての感性を失った奴らで埋め尽くされる未来は私からしたら悲惨以外の何物でも無い。いや、未来ではなくもう既に現実のものとして私の目には映り始めている。しかしながら還暦を超え先が見えてきた我が身、そういった悍ましい未来とどっぷりと付き合う必要が無くて済むのが1番の救いだ。昭和生まれでつくづく良かったと思うこの頃だ。